木のある風景
kinaruf.exblog.jp
PHOTOLOG
by kinaruf
プロフィールを見る
画像一覧
Top
はじめの風景
2007年 01月 11日 |
c0100988_17115367.jpg

<Pen-FT+F.Zuiko Auto-S 1:1.8 f38mm>
雲間から地に差し込んでくる太陽の放射線状の光は「天使の梯子」と呼ばれるそう。写真を撮り始めてから知った。とてもいい呼び名だと思う。





 実は今日は僕の誕生日。とても寒い大雪の日だったとか。4150グラムという巨大な赤ちゃんだったそう…母が云うにには赤ちゃんの時はものすごくかわいかったらしい。誘拐されるのではないかといつも心配していたとか。実際知らない人に連れて行かれて大騒ぎになったこともあるとか…。ただ「あんたは赤ちゃんの時はかわいかった」とあまりにも繰り返し云われるとその子供にとっては苦しいことにある。愛はいつも現在進行形でないとうれしくはない(笑)。

 一番、最初にある風景の記憶。こういう話を人にしたことはないが今日はここに書いてみる。
 うす暗い部屋。僕はひとりで畳の上に寝ている。そして目を開けた。木でできた大きなミシン?が頭の斜め上に。白いレースのカーテン。暗い部屋。そこに光が差し込んでくる。白い明るい光。柔らかい光。そして暖かい光。それは午後だということだけは感覚的に残っている。
 この時のこと、この時の風景が赤ちゃんの時の記憶なのかもう少し過ぎて、幼児の頃の記憶なのかは定かではない。僕は絵が書けないけど、もし絵がうまく書けるのであればその絵を描くことができるほどにはっきりした記憶なのだ。この風景のことを僕はよ〜く思い出す。そしてこの時の風景を思い出すとなんだか心が静かになってくる。
 
 心理学に詳しくはないけれども、こういう記憶が原風景と呼ばれるもの。原風景とは「原体験から生ずる様々なイメージのうち、風景の形をとっているもの」(大辞林)とされる。「原風景」ということばはこのごろ,よく使われているけれど、それが一体何を意味するのかはまだおそらく心理学の世界でも未解明なところが残っているみたい。原風景というものをもってることは人にとって大切なことで喜んでよいことだと恩師から云われたことを想い出す。
 
 写真にも何かそういう原風景というものがなんらかの仕方で関わっているのかもしれない。自分が撮った写真だけではなく人の撮った写真でもこの写真いいなあなどと思う写真にはきっとどこかでその人の原風景がコミットしている。この写真は池田の五月山という山の中腹から見た風景。この日は空気がとても澄んでいて遠くまで見渡せた。光が差し込んでいるのは大阪の市街地。この写真にもどこか僕の原風景重なるところがあるのかもしれない。

 もちろんこれは写真だけのことではない。その人の人としての在り方にもきっと関わってくるし色んなことに広がって来ることなんかもしれない。たとえば木や森や花や川などの自然環境を保つということはそういう面でも大切になってくるし、伝統的な建物や街並を保存するということも大切なことになってくるのではないかと思う。日本はここ何十年かの間に人が生きる風景をあまりにも急速に変えてしまったというか壊してしまった。それはものすごく人間の心にも悪い影響を及ぼしてるのかも。

 僕が“木のある風景”という題をこのブログにつけたのはそんなこと考えてというわけじゃなくて、なんとなくだったのだけれども、こんな意味もあったのかもしれない。なんだかものすご〜く固いことを書いてしまった気がする。ごめんなさい。もし最後までここまで読んでくれた人がいたらつきあってくれてありがとう。こころからお礼を言います。
 
 誕生日だからといって特別変わることは何もないけれど、きょうの夜はすこし静かに過ごせたらいい。
[PR]
<< 挑戦 PageTop 出発 >>
XML | ATOM

個人情報保護
情報取得について
免責事項
Blue Paper Skin by Sun&Moon